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01糧についてabout

糧について|about us

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わたしたちは島根県津和野の山あいの場所で旬を食材を味わえるカフェ、暮らしの学びが体験できる場づくりをしております。

食べること、暮らすこと、生きていくこと
様々な学びを提供していきます。

私たちが学んでいきたい、そして互いに学び合いたいものは
「その土地らしい暮らし方」を学ぶ場所です。

田舎での暮らしとはいえ、インターネットが発達した社会。
思った以上に速いスピードで発展していて、都会と同じような暮らしができるようになり便利さを享受できています。ネットで買い物をしたら次の日には届くし、流行っている情報すぐに手に取ることができます。

ただ、そういった暮らしをしていると、目を回してしまうことも多いのです。ここは田舎なの??と。そうしたインターネット中心の暮らしが田舎でもスタンダードになるなかで、私たちの先輩方が積み重ねてきた「その土地らしい暮らし」はいま殆ど失われてきているのだと思います。

ただ、私たちが住む津和野にはその速さから逃れ、一旦止まって深呼吸し、自分をとりもどせる場所が多くあります。それが田舎の、津和野の良さだと思っています。

糧では自然が豊かな環境の中で「その土地らしい暮らし方」を感じられる体験を提供し、本来、私たちが持っていた繊細さや優しさを思い出す場所づくりをしていきたいと思っています。

営業時間|Opening hours

ランチ:11:00〜14:00(L.O. 13:30)
カフェ:11:00〜17:00
定休日:月〜水曜日

※平日の14:00以降の営業はお休みしております
※冬季1月2月は休業となります。

メールマガジン|mailmagazine

(2020.12.27)
私たちの情報伝達方法は、
1.HPを中心に情報をとりまとめ
2.メールマガジンで新しい情報やお誘いをお届け
3.お店に来た時に様々なことが理解できる
といった形にすることにしました。

まずは運営のわたしたちの暮らしが疎かにならないこと
そして、関わってくださる皆さんによって暮らしを遮らないこと。このことを大事にして情報をお伝えしていきたいと考えています。メールマガジンを通して、皆様と日頃から関係が築いていけたらと考えております。是非ご登録いただき様々な意見をお聞かせください。


お知らせ|info

(1)ランチ・カフェ

メニューについて
予約について

(2)イベント

開催募集中のイベント・ワークショップ
・大地の再生講座
・手仕事について
・キャンセルポリシー(coming soon)

(3)調味料、日用品

販売している調味料について
・販売している日用品について

(4)本

・販売している本について

(5)プロジェクト

・畑迫地域小さな拠点づくり
・エディブルパークプロジェクト

(6)養生記事

・養生レシピ
・整体庵結び、松永さんのお便り

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糧でやっていきたいことメモ|dream map

001.食卓をつくる人たちに発見と喜び、癒しを提供できる場所になる
002.大人にとっての好奇心が溢れる学びの機会を
003.パーマカルチャーセンターをつくりたい
004.大地の再生講座を継続的に開催したい
005.素敵な本屋をつくりたい
006.近隣からとれる素材だけでつくる家づくりをやってみたい
007.メンバーがやってみたいことを表現できる場をつくりたい
008.季節の手しごとの場としてのスポットでありたい
009.欲しい調味料が手に入る場所でありたい
010.実験的な農園を運営したい
011.有事の時に皆さんの支えになれる場所でありたい
012.糧らしい宿を運営したい
013.みんなにとって落ち着く場所になったらいいな
014.

 

糧は皆さんが思っているようなお店ではありません。お客様とスタッフという分かりやすい境界がある場所から距離をとりたいと思っています。お客様としてもてなすこともしていきますが、私たちが嬉しいのは、一緒になって様々なことを生み出していく友人の輪が広がっていくことです。ここは暮らしを探求する好奇心が集う場です。何かピンと思うことがあったら遊びに来てください。

「場」というのは旗を立てた人がつくり続けるモノではなくて、関わりたい人たちでつくるモノだと思っています。

 

 

建物(旧畑迫病院)について

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現在、糧が運営している場所、旧畑迫病院は明治25年(1982)、畑迫村の実業家堀礼造によって創設された私立病院です。鉱山業によって財を成した堀礼造が、地域住民へ医療を安価に提供する機関として設立しました。
その後、各地に施設を整備し、大正9年(1920)には畑迫病院本院の他、笹谷支院、津和野分院、木部出張所という体制になっています。
鉱山業の不振等で堀家が経営権を手放した昭和6年(1931)以降、経営者の移り変わりによって畑迫医院、畑迫診療所と名称を変えながら地域に根差した病院として機能していましたが、昭和59年(1984)に閉院しました。現在、明治25年(1892)開院当初の建物は失われていますが、大正6年(1917)に増築された新館が敷地の西半部に現存しています。

<外構造園について>

病室や手術室に面して、薬樹であるアオギリが植えられており、前庭部には鍰(からみ)煉瓦(笹ヶ谷銅山の精製物から製造された)を用いて花壇が造られていました。堀家の主屋背後の温室で育てられたチューリップやオジギソウなどの草花が移し植えられ、その他にも、ドクダミなどの薬草も栽培されていたと伝えられています。また、東側の外来患者用の玄関前の広場の中心には、円形の築山も残っています。

畑迫病院跡は堀氏関連の重要な福祉医療施設の遺跡であり、その敷地は近代病院造園の遺構として貴重であることから、平成17年(2005)に国指定名勝旧堀氏庭園の一部として文化財指定されました。

平成24年(2012)には津和野町が保存修理工事に着手、大正6年(1917)築造の新館部分を昭和初期の形で修復し、平成28年(2016)11月旧畑迫病院として開館しました。外構造園部分は花壇と薬草園として整備し、本館棟跡・旧病室棟跡・1号便所跡については遺構位置表示をしています。

 

旧畑迫病院の文化財サイトはこちらからどうぞ。
http://tsuwano-bunka.net/ishokunomanabiya/・ky