「在来ワサビ」の話|種コラムextra③
更新日:17.08.03
今回は僕が継がせていただいている種の中でもちょっと特別な植物。ワサビについて書きます。
石見地方の西側の地域である吉賀、日原、匹見、津和野、そして山口県の山代地域、このあたりはワサビの産地です。「ワサビの産地」ということは、ワサビが自生しているということです。ワサビは環境に敏感で、良い環境でないと育ちません。島根の西石見地域や山口県北東部の山代地域は野生種のワサビにとって楽園なのです。
ワサビの野生種を引っこ抜いて、人間が育てやすい環境で育てたもの、それが<在来ワサビ>です。そんな<在来>のルーツの野生ワサビは日本の固有種です。
http://www1.gifu-u.ac.jp/~kyamane/wasabi.html
人間の手から離れて自生していた在来ワサビたち。野生に戻って小さく育っていました。
◆ワサビの西の横綱《島根ワサビ、石見ワサビ、匹見ワサビ》
ワサビと言えば静岡が有名ですが、実は島根の石見地方はとても良質なワサビが取れることで有名だったんです。特に京都や大阪などの関西圏でもてはやされていました。
「西の横綱」ともいわれていたそうです。
そしてその西の横綱は「谷ごとに味がそれぞれ違う」といわれ、出来の良い場所では、谷単位で注文が来たそうです。「〇〇谷のワサビをうちはいつも使ってんだよ。」という職人さんの声が聞こえてきそうですね。
そんな島根ワサビの特徴は「①辛味の後の甘み、②独特のねばり、③鮮やかでない色」です。
関東圏でワサビというと緑が鮮やかなものが想像できますし好まれていますが、これは静岡ワサビの特徴なのです。。
石見と静岡では見た目が違うのですね。
また、栽培の仕方も特徴的です。
島根を含む中国地方は<渓流式>といわれる谷の地形をそのまま活かして、石垣にワサビの栽培場所を作る形式で流水を利用します。
静岡では<畳石式>。長野では<平地式>といって、どちらも湧き水を利用し、重機を利用して大規模に築田します。
◆外来種に圧倒される在来ワサビの現状
今、島根の在来のワサビは、生産者がほとんどいません。
それは、ワサビの病気、山の災害、市場の変化という出来事があって、どんどん衰退してしまったからです。生産が衰退するだけではなく、さらに静岡や東京などから来た島根以外の外来ワサビと交ざりました。純粋な在来ワサビはもう無いのかもしれません。
まずは病虫害で、昭和40年代までにスリップスという虫がワサビを襲いました。また病気も発生します。それを克服するために、島根の品種と静岡の品種の掛け合わせ<島根三号>が登場します。病気や虫に弱い在来種はこのときどんどん捨てられ、病気や害虫に強かった<島根三号>はもてはやされました。市場の変化もあり、青いワサビが好まれたこともあります。掛け合わせの<島根三号>は緑色がより鮮やかでした。
さらに、ヨンナナ豪雨(1972年昭和47年7月の豪雨)によって、谷は流されて壊滅的な被害を受けました。この一連の出来事で、島根でのワサビの栽培自体が衰えました。
島根ワサビが衰退する一方で、静岡ワサビが日本を席巻しました。緑の鮮やかな静岡ワサビが好まれるように市場も変化していきました。
こんな出来事があり、農家さんたちは、外から持ってきた静岡や東京の品種などを積極的に導入しました。
こうして<在来ワサビ>は<島根3号>へとってかわり、さらに大きく見た目も良い外来品種に取って代わられはじめました。
また、リスクのある渓流で育てるワサビ、いわゆる<谷ワサビ>(水ワサビ、水田ワサビとも言う。)から、土で育てる<畑ワサビ>が生産の主流になってきました。これはチューブワサビにするための加工原料を作ることを目的としたワサビです。
さらに在来ワサビの苦難は続きます。
アブラナ科の仲間であるワサビは、花粉によって交配します。
静岡など外からの品種が導入されたことで、育てていた島根ワサビと外来からのワサビとが混ざってしまいます。ワサビはとても交雑しやすいのです。
「<在来のワサビ>はもう無い」と色々な方が云っていました。そして育てているワサビが交雑してしまうということは、野生のワサビたちにも変化があったはずです。島根だけでなく、日本全体で野生ワサビは絶滅の危機にあるそうです。
http://www1.gifu-u.ac.jp/~kyamane/wasabi.html
余談ですが、今過ごさせていただいている三重でもかつてワサビ栽培が行われていたそうです。しかし、在来のワサビは鹿の食害で(え!シカってワサビ食べるの!?)絶滅してしまったそうです。しかも絶滅はここ数年の出来事だそうです。もしまだ残っていたらなんとか継いでほしいものです。
◆柿木の翁に出会う
「昔からあるものを継ぐ」というキーワードが僕の脳裏を離れず、この不遇の運命の<在来ワサビ>に僕は興味を持ちました。
「在来ワサビ」を探して、あちらへこちらへと話を聞きに回っていました。
匹見にも足を運びましたし、移住しようとも思っていました。匹見では実際、ワサビに復活ののろしがあがっています。
誰に聞いても「在来は無い」といわれていました。
上でふれた様に、たしかにワサビは花粉で媒介する以上、純粋な在来というのはもう無いのかもしれません。そして実際に多くの人が<在来系>と茎の赤い品種のことを言っています。当時の僕は細かいことはわからなかったので、とにかく「在来はある」という方がいないか。そういう人と出会いたい。希望を見出したい。と聞いてまわっていました。
人づてにおじいさんの話を聞きました。
「柿木でも一番のワサビを育てる人がいる。その人なら知っているかも」と。
家を訪れると、おじいさんは足が悪くびっこを引きながらも僕に語ってくれました。
「昔から在来しか育てとらん谷がある。じゃがわしも年をひろうの、もう15年以上行ってなーんじゃ。よく出来る谷で、不思議に病気もつかんのじゃがの」
話を聞いた瞬間
「その谷をやらせてください!」と気がついたらお願いしていました。それからも時々おじいさんにワサビの話を聞きに伺いました。
「あんた、ひとりもんか、わさびはの、一人では出来ん。奥さんをもらって手伝ってもらった方がええで」
「あの谷には昔は歩いていったモンじゃ。黒淵(地名)の下のほうからの、ずーっとあるいたんじゃけ」
「帰りには、籠に一杯背負って、時期になれば毎日、あの谷では1ヶ月出し続けることができおった」
「あのワサビは不思議なもんでの、いろんな人が「これはいいワサビだからくれ」ちゅうて申し出てきた。いろんな人に渡してみたけえじゃが不思議とうまく育たんのじゃ。」
お話を聞くことはいつでも、お勉強でもあるし、この土地の民俗に触れることでもあり、お気に入りの時間です。
◆ワサビ谷
ワサビのある場所は山をずっと登った谷沿い。そこに石を組み、沢とワサビを育てるわずかなスペースがありました。幅は広いところで10m、細い所は5mほど。面積でいえば、60坪程です。トチコロビ谷という谷でした。ワサビの谷としてはとても小さなものです。
初めて見た谷は、15年以上の歳月で、野生に戻っていました。
ワサビの谷の枯れた、暴れた木を片付け、苗にならないワサビを掘り、泥を取り、草を抜きながら谷の整備をしました。大体1年これに費やしました。
翌年の8月から9月、トチコロビ谷の在来ワサビを復活させるべく、水が流れる谷やかつて苗を育てていた谷の上にある畑(見た目はワサビが自生している山の中と言った趣)でふさわしい苗を選びました。
引っこ抜いては葉の特徴、茎の色の特徴、根っこの特徴を見て、味を見るという作業でした。ワサビは同じ場所で長年育っているので、さして違いは無いのではないかと思っていました。しかし実際は、本当に多様でした。
葉っぱが丸みを帯びたもの、ホームベース型が強いもの、葉脈が深いもの、薄いもの、芋の部分の緑の強いもの、褐色なもの、茎の赤みが強いもの薄いもの。
ワサビは種が出来るときに本当に特徴がバラケやすくて多様なものが生まれるようになっているようです。他の在来種の野菜も多様なものが出来やすいですが、ワサビは特にそういう性質が強いという印象を受けました。そうやって変化のある自然環境を乗り越えようとするたくましさがあるんですね。
およそ4つの特徴あるワサビの苗を選び、谷に植えつけることにしました。
僕は、在来の系統のねばりと甘さが好みだったので、甘みに特徴のあるものを選んでいます。
さて、自生ではなく、人間が育てるとなるとこうなります。
昔のやり方では、茎の一部をポキッと折って植え付けをします。
ワサビは年を追うごとにメインの株から新しい小さい株がどんどん出来てきます。これを植え替えるのです。かぎ苗といいます。これはつまり全く同じ遺伝子のクローンが出来上がるのです。昔はこの方法で、クローンをひたすら増やして行ったそうです。
しかし先に触れた虫や病気の問題もあり、環境の変化もあることから考えると、時々種をつけてもらって多様なものを残さないといけません。匹見地区の栽培農家さんにアドバイスを請うと、4年に一度は種採りをしないといけない。と聞きました。
どちらにしろ、ワサビがとても多様性のある植物なのだということを実感しました。谷ごとに出てくるワサビの特徴ももちろん違うだろうし、さらに選ぶ人のセンスによって、どのような特徴のあるワサビか変化があるわけですから。
ワサビ谷トレッキング
◆ワサビ谷で過ごす
ワサビ谷までは歩いていきます。この谷は携帯が通じません。でも僕はこれが好きです。山に入り、人気がなくなり、自然と人との共同作業場であるワサビ谷で過ごしていると、全てのものがあらわれる気持ちになります。
これを大切にしたいから、作業も追われない様にやりたい。
丁寧なシゴトが山もワサビも健全にするはずだと思っています。ごく個人的なことだけど、ワサビ谷で過ごすことは、僕にとってはトレッキングであり、遊びのような仕事。山の遊び仕事なんですね。だから、多くの人をこの谷に誘いたいと思い、ワサビ谷トレッキングという企画を実験的にしています。
ワサビ谷は本来は「人から隠す」もののようです。ワサビは高価なもので、実際泥棒も存在します。そういったこともあり、谷はむやみに人に見せるものではないというような雰囲気をひしひしと感じます。ただ柿木地区は産業としてのワサビはほぼなくなってしまっているため、人を入れることに関しては一定の理解を頂いています。
そして山に人を招待することについて、自分にとって大切なルールがあります。これは次の章で書きます。
◆おじいさんの谷でワサビを育てるとはどういうことか
石見のワサビ産地の中でも匹見は有名で、匹見地区の人の物言いからも「匹見のものにあらずんばワサビに在らず。」くらいの王者の風格が感じられる地域です。なので、その他の地域では匹見と比べ見劣りがする。そのような風に思っていました。もちろん匹見の谷のワサビは格別なのでしょう。歴史もあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%B9%E8%A6%8B%E3%83%AF%E3%82%B5%E3%83%93
しかしそれぞれの谷、谷ごとに性格の違う、昔の職人さんが谷指名でワサビを選んだというこの文化に僕は敬意を払いたいなと思っています。このワサビ谷を管理させていただき、完成していくことで、僕ならではの味、見た目のワサビが育つのですから。「在来作物」とは、人が関わることで「変わらない部分」と「変わる部分」の両方の性質を持ちます。これはやっぱり醍醐味ですね。
さらに僕は環境指標生物としてのワサビの側面にも注目します。
つまり、ワサビが育つということは山が生きているということ。ワサビは山と共に生きているということです。
ワサビは育成温度が限られています。平均水温が15℃までが育成の適温で、匹見では12℃‐13℃が適温であるとされています。そして沢を流れる水が常にあり、年中枯渇せず、水量が多いときでも濁流とならない条件が必要です。
こういう条件がちゃんと残っている山は、色々な生き物がいて、空気や水や栄養が循環していて、様々な高さの木々や草花があって、美味しい水が蓄えられる豊かな山です。
在来ワサビが残っているということは、豊かな自然環境が残っている山だということ。つまりワサビを守ることはワサビだけを守ることではなくて、そういうものが育つ豊かな自然環境を残すことだと僕は思います。
以前、僕がはじめて見たワサビ谷は、感動して震えるほど美しいものでした。
その谷は人と自然との共同作業が織り成してできあがっていて、人間も含めた生態系がその谷にあることを感じました。谷の中にある広葉樹林が20年ほど前に伐採され、それは萌芽更新し(新しく生え)て3つの巨木になっていました。それは適度な日陰を作り、広葉樹林と一面のワサビが広がる世界。「人は自然界に存在しててもいいのかもしれないな。」そんな希望を持たせてくれる光景でした。
◆人が自然と共にある
僕は現在、村上真平氏の三重の圃場にて、環境にそった自然農業を学んでいます。
その基本は森にあり、循環、多様性、多層性が3つの大きな要素です。そしてパーマカルチャーの考え方に基づき、地球への配慮と人間への配慮を考察しているところです。
僕はワサビ谷から山全体を見たときにこのような要素が成り立つような谷づくりをしたいと思います。あの美しい谷を再現すること、人が自然と溶け合えること。そのために人は、人が出来ることを山と森でさせていただく。
山はワサビを育み、里を潤して海に流れハマグリを養う。里の人間の責任が有機的な農業ならば、山の人間の責任を僕はワサビ谷で果たしたい。そういうクリエイティブな場作りにみんなを誘って共有して、山の豊かさを感じながら、人が未来を生き抜く知恵を共に学べたらと思います。一言で言うと、ワサビのある山作りがしたいんですね。
ワサビが自生したり、ワサビが栽培できる山、森が中国地方全てに広がっていくようなイメージを持って、先ずは足元のおじいさんの谷にそして今年整備をしている次の谷にコツコツと向きあっています。
開催中
種から学ぶ私たちの暮らし「タネの図種館‐Tsuwano‐」
開催期間 ~8月初旬頃
第二話 たねのつぎかた②「タネの図種館」
第三話 たねのつぎかた③「七月十日豆」
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extra① トマトの種取り
extra② ズッキーニの種取り
extra③ 「在来ワサビ」の話
日本で1%も流通していない在来種、固定種の野菜に焦点を当てた種市のことなど、「あたためる八百屋」さんの奮闘記です。
山口 敦央(やまぐちあつてる)
タネトリスト
タネの図種館立ち上げメンバー
やまたねくらし主催
1981年生まれ 吉賀町在住 現在持続可能な生活の修行のためこの1年は三重と島根を往復中。毎月1回、糧で開催している種カフェでもお話しします。