たねのつぎかた③「七月十日豆」|種図種コラム
更新日:17.07.14
文章 山口 敦央
第2話は、タネの図種館が出来るまでの物語でした。
自分でなんでもやる関係性から、分け合う、シェアする関係性へ。
LINK:たねのつぎかた②「タネの図種館」
企画展「タネの図種館」の展示ブースより
■七月十日豆
七月十日豆という在来種の豆があります。
このあたりで育てられている豆です。
”このあたり”がどこまでなのか定かではありません。
在来種とは、その土地で長年種を継がれているタネのことです。
在来種について詳しくは、糧での企画展 種から学ぶ私たちの暮らし「タネの図種館-Tsuwano-」に譲るとして、この七月十日豆は、津和野、吉賀周辺でしか見かけない珍しい在来種なのです。
サヤで食べ、しょうゆなどでからく煮ると(しょっぱく煮ると)歯ごたえが程よく、とても美味しいサヤインゲンです。
■ちょっとおきて破りなインゲン豆
七月十日豆とは、インゲン豆の一種で、白い豆です。
ツルが延びて、たくましく育ち、9月後半から10月にかけて次々とサヤインゲンが収穫できます。この七月十日豆というサヤインゲンは、調べていくとちょっとおきて破りな印象を受ける豆です。
おきて破りの1つめは <豆> と名乗っておきながら、サヤの状態で食べるサヤインゲンだということ。普通サヤインゲン、モロッコインゲンといえば、サヤで食べるもの、白いんげん豆、手亡豆といえば豆で食べるもので名前でわかりやすくなっています。
ちなみにこれらは全てインゲン豆の仲間で、ヨーロッパから16世紀に日本に伝わってきたものが起源とされています。インゲンとは、この豆を伝えたのが隠元和尚(いんげんおしょう)であるという言い伝えから名づけられているそう。黒やクランベリー色、白黒のパンダ豆、そして琥珀色のうずら豆など色々な色のものがあります。
うずら豆といえば浜田市弥栄地区にはその近縁の豆があります。名前は <たまご豆> といいます。ラグビーボール型のうずら豆よりもすこし小さく確かに卵に近い形です。うずらの卵を形容したであろう、うずら豆よりも小さいのに、カテゴリーとしては大きい<たまご>を名前にとったセンスに私はどうもニヤニヤとしてしまいます。この連載が続けばこの豆も紹介したいです。
話が脇にそれました。
いかにも「〇〇豆」という名前だと豆で食べるのではないかと思わされてしまいます。その意味では三度豆、菜豆もサヤでたべるものなので、というものも同じようなおきて破り感があります。
2つめのおきて破りは種まきの時期です。種まきが「七月十日」ともう日付指定なのです。その種まき時期が絶妙なのです。
普通はサヤで食べる”インゲン”は、温かくなり始めた4、5月蒔きか、7月中旬以降、8、9月蒔きです。6月から、7月上旬に蒔くと、実りの大切な、お花が咲く時期が暑い8月になり、結実しにくいのです。
要するにサヤインゲンとして収穫したければ、夏の暑い時期に花が咲くような蒔き時は避けるのが一般的なのです。
七月十日豆は、七月十日蒔きで(という解説を書くととても面白い)絶妙な時期に種まきをし、収穫は9月後半から10月頃です。
先日の種カフェの様子。津和野のおばあちゃんに来ていただき種の話をしてもらいました
■栽培地域の謎
先日、津和野のこの豆を育てているおばあちゃん達にお話を聞きました。
「私は浜田から(嫁に)来たけえじゃが、浜田には無かったいね。白い豆で食べる分はありゃしたけえじゃが」
「津和野に来るまでは見かけたことがなかったんよ。日原(津和野町内の隣の地区、この方の出身地)にはなかったけえね」
まとめると吉賀、津和野では育てられていて、隣の日原町や、近郊の浜田や周南などでは育てられていないということでした。これはかなり限定された地域でしか育てられていないようで、どんな来歴なのか謎は深まるばかりです。
■本当の名前の由来
七月十日豆をはじめて目にしたのは吉賀町でした。
その原点に立ち返って改めて吉賀町の柿木地区で七月十日豆を育てている人をたどり、聞き取りを進めていきました。そこには思いもよらなかった衝撃的な事実にたどりつきました。
有機農業運動を80年代から続けている柿木地区の種採りおばちゃんまでたどり着き、お話を聞くにいたりました。
山口:「七月十日豆ってどのような豆なのでしょうか?」
「サヤで食べるけど、私たちは、豆が膨らんで大きくなったものが好きね。白い豆で食べてもええね」
「9月の終わりごろから次々に採れるけえ、そのときにあわせて若く採ったり、大きくしたり、豆にしたりするんよ」
山口:「名前の由来をごぞんじですか?」
「ああ、あれはね、エポック(柿木村の有機野菜のための流通施設で、野菜の集荷、販売、「道の駅かきのき村」と広島の廿日市市に「産直市かきのきむら」を展開している)で野菜をだすのにどの豆が美味しいかってい話になってね、色々在る中から、この白い豆が美味しいとなったんよ」
「これは七月十日ごろに蒔いたら美味しいけえ、七月十日豆にしようって私らがつけたんよ」
え!名付け親の一人がここにいらっしゃった!
灯台元暗しとはこのことです。これがお話を聞いてわかった来歴でした。
およそ12年前、産直に出すのにどんな豆が美味しいかと、持ち寄られた名も無き豆たち。その中で選ばれた白いインゲン豆。サヤで食べるが豆でも美味しいく、当時七月十日ごろに蒔くとうまく育つ。そんな中で「ほいちゃあ、七月十日豆と呼ぼうかあ。」となった。これが七月十日豆なのでした。
■七月十日豆の謎が解ける。
この山間の柿木村では夏は涼しい、遅く植えるには、冬が早く来てしまい収穫が少ない。七月十日頃というのは、この風土に根ざした当時の最適なまき時であり、山間地だからこそのタイミングだったのです。ただ最近では台風も来る、暑さで実なりも悪くなるということで、七月十日とは言っても、場所や年で工夫しながらタイミングもずらすのだそうだ。
この方はさらに早く、七月の初旬には蒔いてしまうそう。津和野のおばあちゃん達は七月二十日頃に蒔くのだそうです。吉賀と津和野でも気温や気候が随分違い、土地土地によってそれぞれ変化が出るのです。
おきて破りの2つ目も「インゲン豆とはこんなものである!」という私の偏見からきたものでした。もともと豆でも、サヤでもどちらでも食べられる豆なのです。ただ花が咲き実のなる期間がそれなりに長いので、どの時期に蒔いてもそれなりに出来る。
サヤインゲンとしても、豆も、暮らしの中の日々の糧としてその時々にある形で食べていったものが、若い鞘であったり豆が膨らんだごつごつしたサヤインゲンであったり、白豆であったりしたのでした。
まとめると
やや冷涼な山間の地域で、暑さや寒さを考えたときに長く採れて美味しい時期、七月十日頃に蒔く豆。成長に応じて、若いサヤインゲンとしてだったり、ごつごつしたモロッコインゲンのような豆の入ったサヤインゲンとして、白豆として次々になるものを比較的長く食べていく豆。これが七月十日豆でした。
そしてこれは育てる地域の気候風土によって変化するものでもあったのです。
種を採り。
種カフェで提要した七月十日豆のスイーツ
■インゲン豆から在来種というものを考察する
今回の聞き取りで、インゲン豆はどの豆もそれぞれ少しづつ違いがあり、土地や人の工夫によって食べ方や蒔き時期も変わるようです。そして、時代によっても変化していくものなのだということがうかがい知れました。
インゲンの種類は本当にたくさんあり、サヤで食べるもの、つる性のもの、ツルの無いもの、豆と呼ばれたりインゲンと呼ばれたり、三度豆と呼ばれたり菜豆と呼ばれたり、本当に多様です。白い豆のサヤインゲン、おきて破りなのは、当時の農家のお姉さんたちが、生活の中で選んできた、名も無き昔からある種を自分たちのリアリティ、自分たちの食べ方、自分たちの蒔き方を工夫して育ててきた証だったのです。
在来種とは、こうした生活の中でだんだんと発展、進化、変化していくものであって、〇〇野菜!のように、「これが純粋な在来である。」と保護し続けたり決め付けたりするものであるとは限らないのだなあとしみじみ思いました。
流通が発達し、種苗会社から多くの種類の種が買える様になった今、名も無き種たちは簡単に打ち捨てられ、その姿を消してしまっています。それを残さなければというある種の使命感で私は種を発掘していますが、もっとおおらかな考え方があるなあと、今回の話の中から思いました。
人々がつないでいく種の形は時代によっても変わります。そんな変化を受け入れつつも、野菜を食べる当事者である私たちが、種を継いで、愛で、それが次の世代にも伝わっていく。そんなことを当たり前にするべく私は種を採り続けようと心新たにしました。
■因みに
この七月十日豆にかなり近い種と思われるネーミングの来歴不明のインゲン豆が兵庫県但馬地域にあります。<七夕豆> 七夕以降に蒔きなさいという教えだそうです。七夕という、ほぼ七月十日に近い名前で色も白の豆です。最近はやはり七月二十日頃にまくのだそうです。
隠元和尚が都に伝えた白い豆は、山陰の山道の交易ルート、若しくは海からのルートで次第に山の集落に伝わり「白い豆の七月に蒔くサヤインゲン」としてじわりじわりと西へ伝わったのです。推測の域を抜けないのですが歴史を感じる豆でもあるなあとしみじみ感じます。
(第三話 終わり)
第二話 たねのつぎかた②「タネの図種館」
開催中
種から学ぶ私たちの暮らし「タネの図種館‐Tsuwano‐」
開催期間 ~8月初旬頃
《EVENT》
7/30(日) 畑の学校・種カフェ開催
https://www.facebook.com/events/1909857215922290/
◎わたしの「たねのつぎかたぼん」紹介1
ひょうごの在来作物 -つながっていく種と人
ひょうごの在来種保存会
コメント:在来作物が消えていくことを憂い、守っていこうと保存会が立ち上がりました。 地道な調査のもと、90種類もの在来種とそれを継ぐ人たちを取り上げています。 名前も無かった野菜たちを、「種継ぎ人」とともに考えたりしたそうです。 文中の七夕豆も収録されています。 シマヤマ(島根県や山口県)でも在来種の発掘を進めていきたい!とこの本を見るとやる気が出ます。
山口 敦央(やまぐちあつてる)
タネトリスト
タネの図種館立ち上げメンバー
やまたねくらし主催
1981年生まれ 吉賀町在住 現在持続可能な生活の修行のためこの1年は三重と島根を往復中。毎月1回、糧で開催している種カフェでもお話しします。