たねのつぎかた①「種に魅せられて」|種図種コラム
更新日:17.06.11
はじめまして。山口敦央です。
今回この場をいただいて種にまつわるコラムを書かせていただくことになりました。私は2010年に島根に移住し、種を継ぎつつ、おじいさんやおばあさんから昔話を聞いてきました。昨年から「タネの図種館」という自家採種(※1)の種を持ち寄り貸し出す企画を有志の仲間とともに行っています。
第一話は、私がなぜ種に魅せられて種を継いでいるのかということをお話させていただきます。丁度先日は 24節句の芒種(ぼうしゅ イネ科などの種を蒔く時期で梅雨も近い五月雨の時期)でした。このコラムでも1つの種まきをさせていただく機会に恵まれて感謝しています。
第一話のまとめ
自給自足するなら種からだろう!と思っていた。 「昔から継いで来た。」とか「昔からある。」というような言葉に魂が震えて「在来種」(※2)を育てたいと思った。
5月の種カフェ。お茶を飲みながら種について語り合っています。
■自給自足や古い文化に未来を生き抜く「技・知恵・生き方のヒント」がある■
まずは、私のことを簡単に紹介します。
私は千葉県育ちです。地元の鎌ヶ谷では、学校の裏側の雑木林や、空き地で基地をつくったり、谷治川(やじがわ)ではザリガニを釣ったりして遊びました。
糧がある地域の畑迫ほどではないもののそれなりに自然と触れ合っていたと思います。 この私の小さな楽園は、小学校一年生から六年生の間にだんだんと家に変わりました。 遊び場には「危ないから入ってはいけません。」の看板が増ました。 締め出された私たちの遊びは「秘密基地作り」から「おうちでゲーム」に変わりました。
「昔はシジミがいたのよ」とか「昔は自然が豊かだった」と大人から聞かされる一方で「家が増えることはいいこと」「町が栄えるのはいいこと」といい聞かされていました。
この出来事は私のこころに強く引っかかっていて、 失ったそれらのもののストーリーを聞くと、悲しい気持ちになりました。「とにかく家が増えたら幸せなのよ(遊び場が減ろうが自然が無くなろうがそれがいいことなの)」そんな乱暴なメッセージに聞こえたのだと思います。
成長につれて、私たちは失った時代を生きている。そして未来が奪われていくと感じるようになります。 経済の仕組みを学校で習うと、だんだんと環境問題とか経済の矛盾について考えるようになりました。
その流れの中で、「循環型の社会」や「目に見える範囲でちゃんとモノがまわるくらし」に興味を持ちました。 明治から昭和30年頃までの日本の農山村での自給的な生活、いわゆる「里山文化」の中に、これからの未来を生き抜く為のたくさんのヒントがあると思いました。
5月に行った「畑の学校」のワンシーン。午前中は種蒔きをしました。
■だから種の自給■
「里山の文化」という憧れと共に自給自足をベースに生活をしたいと思いました。食べ物を自給したいと思ったときに、当たり前の話ですが、その食べ物のはじまりは「種」でした。
はじめて自分で蒔いた野菜の種から芽が出たとき、とても感動したのを覚えています。 「自給」をするのだから、種も自給したいと「種採り」をするようになるのに時間はかかりませんでした。 こうして、「種を採る」ということは畑を始めたほとんどはじめからしてきました。 小松菜や高菜、トマトや茄子、豆など育てるものは何でも採ろうとしていました。
そんなこんなで、古いもの好きで環境マニアの私は、
「昔の人たちは何を食べていたのだろう?」
「どんな畑の作り方をしていたのだろう?」
「どんな生活や生活の知恵、技術があったのだろう?」
と興味をそそられ、近所のおじいさん、おばあさんに会うたび話を聞くようになりました。そのうちに、西石見や岩国市の錦町の「奥の集落」を探してはお話を聞いて歩き始めました。
「薪での生活」「ヤマギワとのかかわり方」「共有林」「オオカミの話し」
「お酒の作り方」や「味噌・醤油の作り方」
「産婆さんのお話」「森やワサビとのかかわり方」・・・
一言では語れない様々な話を聞いてきたと思います。
ベッドタウンで育った私は、自分が何処から来て、何処へ行くのか、家族や地域とのつながりを感じずに育ったので、(その気楽さを田舎に来て知ったこともありますが) この西石見や岩国市錦町(山代地域)の昔からのルーツ、それがあって今があることを感じると、 何か魂に触れる感じがして、「自分も何か継いで行くことは出来ないだろうか。」と思い始めました。
5月に行った「畑の学校」のワンシーン。育つかな・・どきどき。
■「語り継ぐもの」 在来の種■
昔の暮らしの話の中で、種の話を聞くようにしていました。
炭焼き師が捨てる灰をかけた土のうえで育てていたごぼう、焼畑のくろごう小豆。
平家集落のおばあちゃんが「これは間違えなく古いもんで、絶対に絶やしちゃいけん思って毎年とりよるん」というソバ。
三度豆、トウキビ(タカキビ)、七月十日豆、漬け物唐辛子、地這きゅうり、出雲在来大豆、らんきょう(ラッキョウ)、在来ワサビ。
吉賀町六日市の蓼野や、柿木の大井谷、匹見の内谷、岩国市錦町の沼田、津和野日原の左鐙(さぶみ)、これらの地域では「焼畑」の話と共に種の話が出てきました。
カブ、ソバ、小豆、コウゾやミツマタの木が焼畑で共通する作物でした。
焼畑の生活と共にこれらの種が継がれてきたのかなと思うとなんだかロマンを感じました。こうして出会った昔からある古い種たち、そしてお話だけでお目にかかっていない種たち、どうにかして継いでいきたい。そんな思いで、野菜の種継ぎと共に、古い種、つまり在来種の種の発掘を少しづつ続けてきました。
(第一話終わり)
※1自家採種 個人の人や農家が自分自身で種を採ること。
※2在来種 その土地に根付いて種継ぎされている品種。明確な定義があるわけではない。
第二話
たねのつぎかた②「タネの図種館」
開催中
種から学ぶ私たちの暮らし「タネの図種館‐Tsuwano‐」
開催期間 ~8月初旬頃
《EVENT》
6/18 畑の学校・種カフェ開催
https://www.facebook.com/events/237225206764400/
◎わたしの「たねのつぎかたぼん」紹介1
家族野菜を未来につなぐ:レストラン「粟」がめざすもの
三浦雅之、三浦陽子 著
https://www.facebook.com/kazokuyasai
山口 敦央(やまぐちあつてる)
タネトリスト
タネの図種館立ち上げメンバー
やまたねくらし主催
1981年生まれ 吉賀町在住 現在持続可能な生活の修行のためこの1年は三重と島根を往復中。毎月1回、糧で開催している種カフェでもお話しします。